Black Swan



パイレーツの後、ランチをはさんで
その日2本目に鑑賞したのは「ブラック・スワン」

「なんかねぇ、ホラーやねんて。バレエを冒涜しているって批判も多いらしいよ。」
前知識はポートマンがバレエの猛特訓したとか
アカデミー賞を獲ったということと
友人から聞いたそんな言葉だけ

監督はダーレン・アロノフスキー  


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バレエを冒涜とか
芸術を理解していないっていう批判ってどうなんでしょ?
監督は初めからそんなものを描く気は
さらさらなかったんじゃ?

監督の視点は
「主観」が捉えている「現実」というものを
客観的視野を持っているつもりである鑑賞者に
映画的にどう見せるか
この点に向けられていて
バレエはその一材料として使われている印象しか
私は受けませんでした

結構ねぇ、怖いですよこの映画
心理的な意味でですけど

映画はたびたび
ポートマン演ずるニナの視点で描かれます
カメラが完全にニナの目となり
ニナが聞いているだろう自分の呼吸の音も聞こえてきます
観客は彼女の中に完全に入り込みニナの視界を疑似体験し
ニナの心理状態まで共有できる、そんな仕掛けとなっています

それ以外の場面ではカメラはニナやその周辺を客観的に捉えます
それが決して客観的でないのだろうな、ということは
想像つくのですが、、、

これは幻覚で、これは現実なんだろう、
そんなことを頭で勝手に線引きしながら
観客はニナの中の黒が白を死に追いやる過程を追っていきます
ところがところが・・・



この映画のキーパーソン、ニナの母親は
登場してから終始精神的に問題を抱えているような
異様な人物に描かれているんですよ
過干渉で自己中心的で

ニナが情緒的に不安定なのは
背景にこういう母親がいるからなのね、
客観的判断を持って観客はそう思います

それがですねぇ
とんでもドンデン

ラストシーンで一瞬映る母親の表情をみて
えっ???となるわけです

ニナが白鳥を踊り終え、すべてから解放された後舞台から目にしたのは
娘の成功を心から喜ぶごくごく普通の愛情に満ちた母親の姿

ん???
じゃあ、これまでの娘の足をひっぱるかのような母親の異常な行動
母親像までもすべてニナの妄想やったん?

ってことは、
現実だろうと思っていた例えばバレエ監督との関係、
性的発言やディープキスの強要などもすべてニナの妄想?

どこまでが現実で
どこからが幻覚?

そもそも「現実」って何???

結局、自分が体験する「現実」は個々人にとって常に「主観的視野」に基づくものであって
人はそれについて絶対に客観的になりえない、
そうこの映画は語っているように思いました


私は小さい頃から一度でいいから他人の身体に入って
他人の目で世界を見てみたいと思っていました

目の前のこの緑は他人の目では
本当に私の思う緑色なんだろうか?
ひょっとしたら私の思う黄色で
だけどその人はそれを緑と認識し
「きれいな緑ですね~」って言っているんじゃないか

この世に存在するもの、起きていることは誰にとっても
自分の目で見て
自分の脳で処理して
自分の心で感じていることに過ぎない、
当たり前のことながら

「いえ、隣の人も同じように感じてたよ、同じ事言ってたもの」と反論されても
隣の人が同じように感じてたと判断したのは自分自身
どうやっても現実は個人の主観の産物、
人は自分が生み出した自己の世界に生きているということに帰結してしまう
哲学的ですね

そう考えると我々の日常は
個々人の主観の束でありすべてが思い込みである可能性だってあるわけです

今私はブログを更新中と自分では思っていますが
本当にそうかどうかなんて
自分では客観的にはわからない

ねぇ?怖いでしょ?

視覚的な映画の作りに関しては
どの恐ろしげな場面も古典的手法によるもので
あれ?これに似たようなん、どっかで観たなーっと
過去の記憶を思わず探りたくなるような意外と普通な展開

そうそう
鏡が効果的に使われていましたよ

私、実はちょっと前からバレエを習っていまして
レッスン中、
先生から再三「鏡を見るように!!」って注意を受けます
自分では手を伸ばしているつもりまっすぐ立っているつもりなんですけど
鏡で自分の姿を見るとできてへんっ!!
と、そんなことがしょっちゅうあります

鏡っていうのは自分を客観視できる
有効な手段であるはずなんです

ただ映画ではその鏡でさえも
必ずしも自分を正確に映し出すものではないことを暗示しています
鏡を「見て」「判断する」という行為は主観によるものですからね

そういや
ロボット工学の第一人者であられる阪大の石黒浩教授が
先日テレビでこんな話をされていました
癖までを正確にコンピューターに組み込ませた、
教授に瓜二つの精密なロボットを学生に製作させたところ
私はこれは私ではないと思った、つまり
「自分のことは自分が一番わかっていないもんなんですよ」

面白い!!

映画はテンポが早いので見落とした仕掛けも多々ありそう
怖くてエロいけど
楽しめる映画でした
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by konekohaku | 2011-06-12 11:18 | movie・theater  

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