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私の父は名文家だったそうだ

まだ父が健在だった頃
母と伯母が寄るといつもそんな話をしていた
学生時代は友達の恋文を代筆していたらしいとか
他大学の生徒の代わりに論文を書いて小銭を稼いでいたとか

父はその才能を活かすべく
「文を書く」ことが主な仕事の、とある企業に就職した
というと聞こえがいいが
本人曰く、遊び人の父を雇ってくれるのは
そこしかなかったんだそうである

とりあえず父の筆力のおかげで
私たち家族はおまんまを食べさせてもらっていたわけだけれど
長兄とは歳の離れた末っ子として生まれた私が物心ついた頃には
父はもうその企業の経営者となっていて
母や伯母が自慢げに話す名文とやらに
直接触れる機会はなかった


私がきちんとした形で初めて目にした文章は
父が、公私ともに親交の深かった
かつての盟友に捧げて書いた弔辞だった

「お葬式の後、たくさんの方からお電話頂いたのよ
パパの弔辞に感動して泣きましたって」
母の言葉に責付かれるように
きっちりと畳んで保管されていた原稿に手を伸ばした
父の性格を表すような
おおらかで丸っこい文字が並んでいた

美しい文章だった
長い年月を共に闘い、共に支えあった者にしか書けない文章だった
お涙頂戴風でもないのに
選ばれた言葉の背後にある思いの深さに
涙があふれて止まらなかった

長年の友を失うということが
残された者の心にどれほどの喪失と哀惜の情をもたらすのか
父の筆を通して
その時生まれて初めて悟ったように思えた


ある芸能関係の方が亡くなったとニュースで流れていた
私はその友の死を誰よりも悲しんでいる人を知っている
亡くなった方はその人の人生の一部であったはずだ

その人と
父の、気丈でありながらも寥寥とした後ろ姿が重なった

その姿をただ見つめることだけしかできない私もまた
かつての自分と重なっていた
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by konekohaku | 2012-06-30 22:46 | 生活  

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