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博士と彼女のセオリー


我が家には極端な理系人間が2人いるので
ホーキング博士関連の本やら映像やらには
普通の家庭より目に触れる機会が多かったように想像する。

しかし私生活のことはあまり知らなかった。

そうやったんや
と、馴染みがあったからこその鑑賞後の第一声。
そうそう、この映画は我が家の理系人間と観たのだった。

ジェーンさん(前夫人)の献身的なサポート、
決して憎みあうわけでもなく別れていくご夫婦の姿に
正面から人生の重みをもって
「あなたなら添い遂げられますか?」と問われている感じがして考え込んでしまった。

これは私たち夫婦だけかもしれないけれど・・・
長いこと夫婦をやっていると 
もう惚れた腫れたのラブラブした感情など消滅していて
(初めからあんまりなかったか?!)
しかし所謂普通の人が考える恋愛感情とは別の、
長きにわたりパートナーとして
少なからずお互い精神的に依存し合ってきたもの同士の間にしか存在しえない、
信頼や人間愛とでもいうべき目に見えない静かな絆があり、
ずいぶん前になるがそのあたり、
ノエルカワードの「秘密はうたう」というストレートプレイが
幾重にも捻りを加えつつも
熟年夫婦の本質を鮮やかに捉え表現していて心底感動したものだった。

今回の映画は(前夫人の手記が元になった作品だからかもしれないが)
たとえ夫婦という形態を解消した後も尚、
その絶対的な絆やこれまで二人で過ごした「時間」は
博士や前夫人の中に確かに存在し、
まあ、それは当たり前のことなんだが
後味の悪い別れ方などをすると消しゴムで消すかのごとく
それまでの幸せな記憶までなかったことにする中、
物理学的な「過去に向かう時間の矢」にも絡めて
ゼロになることはないと示したところがとても粋だった。

ALSという病気については親戚に同じ病の者がいたので
ご本人もご家族もどれだけ大変で過酷であるかは私なりに理解しているつもり。
前夫人の存在が博士の生きる原動力になったという事実、
ホーキング博士がこの映画にGOサインを出し、
試写で涙を流されたという事実、もうそれだけで十分だよね。
なかなかいい映画でした。

by konekohaku | 2015-03-24 21:12 | movie・theater  

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